このダブルミーニング的な悲報を受けて、自分は非常に悲しかった。この知らせを受ける前、知り合いのハッカーともTwitterで日々「THE ZERO / ONEのこの先」を意見交換していたからだ。自分は答えた「青山正明が亡き後"危ない1号"は編集長をMaD氏に後任することにより、"危ない28"と言う形で第5巻まで存続したが、あのネタ選び(†筆者注:後述する)とセンスを併せ持つ人間は他に居ないので廃刊、もしくは休刊の運びとなるように見える。いま自分たちにできることは、記事の魚拓を取るしかない」
予想は見事的中した。とんだラッキーストライクだった。
ここで、THE ZERO / ONEの何が素晴らしく、何がフィーチャーだったかをできるだけ述べていきたい。まず、本誌は非常に作り込まれていた。これは筆者に前もっての情報セキュリティのリテラシー在ったからそう感じているわけではない事を留意してほしい。このWebマガジンは、スマートフォンの操作にアタフタしている実家の両親にも、好奇心旺盛な小中高生にも理解できる内容で、かつ記事1つ々の情報が「高度」だった。この逆説的な現象とも、感覚とも表現し得ない特性こそが、THE ZERO / ONEの素晴らしき点であると同時にフィーチャーだった。これは優秀な執筆陣の文才、そして感性、何より岡本編集長の成せる技だった。
このようなメディアは主に英語と中国語(簡体)そしてロシア語で発信されるセキュリティメディアでは都度見かける形態だが、日本に於いては特殊、いや、このTHE ZERO / ONEだけだったと記憶している(†筆者注:ScanNetSecurityが主に開発者や現場担当のセキュリティエンジニア向けだったのに対し、THE ZERO / ONEは大衆メディアの性質も併せ持っていた)。
そしてこれは完全に個人の事情だが、ただ読み応えがある・愛読していたメディアが休刊という運びになった以外にも悲しい点はある。日本にはセキュリティメディアが圧倒的に不足しているのだ。英文を読めば済む話ではあるが、高度な部分、ブラックハットやセキュリティ研究者が編み出したセキュティのトレンドはやはり優秀な日本人ライターが邦訳したものに限る。その点THE ZERO / ONE は自分のあらゆる要求に答えていた。情報セキュリティとは、その筋のエンジニアや研究者のボーイズクラブではない。実際問題、本職・学業・趣味を問わずしてプログラムを書いているものにとっても重要な知っておかなければならないリテラシーなのだ。例えば自分がコードを組み上げた作品(†筆者注:筆者はプログラミングの成果物を"作品と呼んでいる")には、コードを刻む際の書き損じに起因する未定義動作が含まれているかもしれないし、コンパイラやインタプリタに脆弱性があるかもしれない。いや、発見されていないだけで実は存在するのが脆弱性だ。人間は完全ではないし、即ち完全ではない物が作り出した作品は「安全」だと確言することはできない。
つまり、何が言いたいかというと、全てのデバイス、或いはサイバネティックス的に言えば人体までもをネットワークで点と線で結び(或いは相互的多角形形式で)つける試みがなされている今、情報セキュリティの基本的リテラシーはコンピュータに詳しい者以外の、先に上げた「スマホの操作にアタフタしている実家の両親」や「特に情報科学には無頓着、だが好奇心は人生で一番強い時期の小中高生」にも、情報セキュリティに関する情報を発信していくメディアは今後散在乱立とまでは行かない程度に、日本で増えるべきだと思う。そういった意味では、この「THE ZERO / ONE」は社会的に必要だった。そしてそれだからこそ、岡本編集長の死と休刊が悔やまれてならない。